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    これまであった質問にシンプルにお答えします。

    *質問>どうして、日蓮正宗は、邪宗なのですか?

    日蓮大聖人の金言に一文も無く、しかも違背する「戒壇本尊唯一絶対」の邪義によって、大聖人御真筆本尊をも「絶対に功徳がない」「魂が住まない」「天魔外道」と誹謗する『法華極大謗法』教義を持っているからです。


    *質問>どうして、「戒壇本尊唯一絶対の教義」は、邪義なのですか?

    大聖人は、「戒壇本尊が唯一絶対」などと一言も仰っていません。
    それに対し、『妙法蓮華経』が「一大秘法」「出世の本懐」「本仏」「眼目」「法体」「魂」と明確に御教示されています!
    妙法蓮華経の題目は、すべての本尊に書き顕されています。
    "日蓮大聖人の魂が顕現"した大聖人御真筆本尊をも誹謗する「法華誹謗」の理由となる特権を持った本尊がある訳がありません!


    *質問>開眼の無い御本尊は、偽物ではありませんか?

    「南無妙法蓮華経」の文字が"眼目"であり、南無妙法蓮華経の書かれた御本尊は、開眼ある御本尊です。
    開眼は、法主によってなされるのではなく、南無妙法蓮華経によってなされるのです。


    *質問>「本門戒壇の大御本尊」が出世の本懐ではありませんか?

    いいえ。大聖人は、「南無妙法蓮華経の五字」が出世の本懐だと明確に書いています。
    「余は二十七年なり」とは、出世の本懐である南無妙法蓮華経の題目を自行化他に唱えられてから「大難を受けられた期間」の意味です。


    *質問>「本門戒壇の大御本尊」が一大秘法ではありませんか?

    いいえ。大聖人は、「妙法蓮華経の五字」が一大秘法だと明確に書いており、御真筆も残っています!
    妙法蓮華経が『法体』であり、一大秘法である妙法蓮華経の文字が書かれた本尊だからこそ、御本尊が三大秘法に含まれるのです。


    *質問>どうして、創価学会は、間違いなのですか?

    理由は沢山ありますが、やはり、日蓮正宗の邪義を根本教義とする法華極大誹謗教団だからです。
    さらに、現在では、自らが「天魔外道」と誹謗した本尊を世界中に喜んで広めると言う極大矛盾教団ともなっています。


    *質問>創価学会は仏意仏勅の団体では?

    それは、極大謗法宗派の法主が勝手に言った事です。
    仏意仏勅の団体ならば、御本仏が予言すべき特別な団体のはずですが、
    日蓮大聖人は、そんな団体が700年後に出現することなど、全く予言していません。


    *質問>創価学会だけが、唯一の正統教団ではありませんか?

    「唯一」とすること自体が誤りです。
    法華経には、数多くの地涌の菩薩の教団が出てきます。
    そして、教団よりも個人信仰者の多い世界が「地涌の世界」である事が説かれています。


    *質問>日寛上人は正しいのでは?

    大聖人の「一大秘法とは妙法蓮華経の五字」との教えに違背し、
    「一大秘法は本門の本尊、中でも戒壇本尊」との邪義を立てていますから邪師です。
    結局は、法華極大謗法宗派の法主でしかありません。


    *質問>創価学会がなければ御遺命の広宣流布は出来なかったのでは?

    広がったのはキリスト教の200分の一程度です。
    南無妙法蓮華経を世界に最初に広めたのは、創価学会では無く他の宗派です。
    法華極大誹謗、極大矛盾の教えを世界に広めることが広宣流布ではありません。
    なお、大聖人は、本門の戒壇建立の時期を「時を待ちなさい」としか仰っておりません。


    *質問>池田先生は、最高の師匠ではありませんか?

    大聖人は、どんなに世界的に優れた人格と名声をもった師匠であろうとも、御本尊を誹謗する師匠は、悪師邪師と知って近づいてはならないと仰っています。ゆえに、世界中から毎日どんなに賞賛されようとも、戒壇本尊によって他の本尊を誹謗する教えを持った「永遠の師匠」と不二の弟子であり、それを認めた「永遠の師匠」ですから、最悪の邪師です。


    *質問>では、あなた(考える人)は、絶対に正しいのですか?

    いいえ。そんなことはありません。
    私は、自身が絶対に正義であることを主張しているのではなく、日蓮正宗や創価学会等、日蓮大聖人を御本仏とする教団が、その日蓮大聖人の金言に違背して大いに間違っている事を証明主張しているのです。
    自己矛盾・極大謗法の教団では、成仏どころか、必ず大不幸になってしまいます。


    *質問>貴方が絶対に正義でなければ意味がないのではありませんか?

    凡夫ですから絶対正義は無理です。
    大聖人の金言の真意を究明し、謗法を犯さない信仰への努力の手助けとなるのが、私のブログです。


    *質問>「極大謗法」とは、なんですか?

    南無妙法蓮華経の御本尊さらには、日蓮大聖人御真筆の本尊をも軽善誹謗することです。
    日蓮大聖人の仏法を正しく信仰し広める者を軽善誹謗することです。


    *質問>あなたは、原理主義者であり危険ではありませんか?

    原理主義は、教条主義とは違います。
    原理主義は、間違ったイメージを持たれていますが、本来の意味ではありません。
    大聖人の金言を原理原則として、時代性等を考慮に入れ柔軟に解釈するのが原理主義です。


    *質問>個人信仰では、我見に陥り、二乗根性となって、成仏出来ないのではありませんか?

    確かに、我見は、謗法へと繋がり成仏を妨げるものです。
    しかし、教団にも教団の我見があり、それは、個人が変えることの出来ない我見であり、個人の正しい信仰を縛るものです。
    個人信仰における我見は、個人で修正可能です。
    二乗根性にならないためには、法華誹謗の教団や信者を放置せずに破折する「真の声聞」となることでしょう。
    法華経にも組織を持った信仰者よりも個人信仰者がより多く存在する事が説かれています。


    *質問>個人信仰でなければ、成仏出来ないのですか?

    そんなことはありません。
    正しい教団や師匠が居れば、それが理想です。
    しかし、御本仏の金言に違背する教団や師匠では、よけいに不幸の道から逃れられないのです。


    *質問>正しい教団や師匠は、どこで、誰なのか教えてください。

    残念ながら、私が知る限り、どこにも、誰も居ません。
    すべて、人師による我見が教団の基準となっています。
    ゆえに、大聖人が言われた通り、御本尊と御書を師匠として信仰するしかないでしょう。


    *質問>個人信仰者は、御本尊をどこから入手すればいいのですか?

    ネット上の販売店などから購入できます。
    謗法への供養とならぬよう、できるだけ邪宗の利益とならない所を選びましょう。


    *質問>謗法と関係している販売店からの購入は、謗法になりませんか?

    謗法と全く関係していない販売店がない以上、仕方の無い事です。
    大聖人は、許される謗法もあることを教えられています。


    *質問>御本尊をどのように選べばいいのですか?

    日蓮大聖人晩年の御真筆模造本尊をお勧めします。


    *質問>御本尊を自分でコピーしてはだめなのですか?

    軽善謗法となる恐れがあります。


    *質問>自分で書写してはだめなのですか?

    自分で書写した本尊に信仰心が起こるかと言う問題があります。
    軽善謗法となる危険もあるでしょう。
    大聖人御真筆の模造本尊があるのですから、書写する必要はないでしょう。


    *質問>どうすれば、早く功徳を受け成仏できるでしょうか?

    謗法を犯さない信心をすることです!
    謗法を放置せずに破折し、正しい信仰者を正しく尊敬することです!


    *質問>あなたは、謗法を全く犯してはいないのですか?

    謗法を全く犯さないことは不可能でしょう。
    私も日々謗法を犯しているでしょう。
    問題は、謗法の軽重です。
    南無妙法蓮華経と南無妙法蓮華経の正しい信仰者を正しく尊敬せず軽善誹謗することと、
    そのような謗法者を放置し破折しないことが大謗法なのです。


    *質問>世界広宣流布は、どうするのですか?

    広宣流布とは、大謗法を含む教えを世界中に広める事ではなく、謗法の無い信心を一人にでも広めることです。
    謗法の無い信心による大功徳を証明することが、広宣流布です。
    インターネットによって、世界中に正しく広める事が可能となりました。


    *質問>日蓮大聖人は、なぜ御本仏なのですか?

    本仏とされた釈尊よりも大難を受け、釈尊よりも功徳も罰も大きい世界一の法華経の行者だからです。


    *質問>現実の師匠が居なくて、正しい信仰が出来ますか?

    正しい師匠がいるならば、それが理想ですが、正しい師匠を探すのは困難です。
    大聖人は、御本尊と法華経(御書)を師匠とすべきと教えています。


    *質問>代々の法主による相伝がなければ、御書は正しく理解出来ないのではありませんか?

    大聖人が相伝によって法華経を正しく説かれたのが御書であり、末代幼稚の我々にも分るように説かれました。
    御書全体の整合性の上から真意を知る事ができることを大聖人が仰っています。
    勿論、時代背景なども考慮に入れ、教条主義とならないように注意が必要でしょう。
    難しい理論的なことは、南無妙法蓮華経への信心が代わりになると仰っています。


    *質問>勤行はどのようにすれば良いでしょうか?

    方便品と寿量品(自我偈)を読誦すれば良いでしょう。
    観念文は、大聖人への報恩感謝と罪障消滅と先祖供養を忘れず、諸々の願いを祈念すれば良いでしょう。
    謗法を犯した恐れのある代々の法主への供養を避ける事が大切です。


    *質問>個人信仰において、最も注意すべきことは何ですか?

    己の我慢偏執によって、大聖人の教えに違背する自分宗、我見宗を立ててしまうことです。
    そのためにも邪宗を放置せずに破折する中で、自身の誤りは素直に修正して行く事が大切です。
    我慢偏執を捨てて日蓮大聖人の金言を基準に素直な信仰をしなければ、個人信仰の意味がありません。


    以上、文証を御希望されれば、提示いたします。

    文証を提示しました。
    http://kangaeruhito777.blog100.fc2.com/blog-entry-1170.html





      2013.5.3加筆訂正しました。
      2013.5.4加筆訂正しました。
      2013.12.25加筆訂正しました。
      2014.4.24加筆訂正しました。
      2014.7.24加筆訂正しました。
      関連記事
      [ 2013/04/29 11:32 ] 宗教 | TB(0) | CM(9)

      御書

      こんばんは!質問させて下さい!

      ①問うて云く法華経の意をもしらず只南無妙法蓮華経と計り五字七字に限りて一日に一遍一月乃至一年十年一期生の間に只一遍なんど唱えても軽重の悪に引かれずして四悪趣におもむかずついに不退の位にいたるべしや、答えて云くしかるべきなり


      この上の御書の内容と


      ②行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし、


      ①は意味がわからなくても功徳はあるとあり、②は行学がなければ仏法はないとあります、どのようにとらえたら良いでしょうか?


      [ 2014/02/21 22:08 ] [ 編集 ]

      Re: 御書

      貴重な御質問有り難うございます。

      >①問うて云く法華経の意をもしらず只南無妙法蓮華経と計り五字七字に限りて一日に一遍一月乃至一年十年一期
      生の間に只一遍なんど唱えても軽重の悪に引かれずして四悪趣におもむかずついに不退の位にいたるべしや、答えて云くしかるべきなり
      >②行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし、
      ①は意味がわからなくても功徳はあるとあり、②は行学がなければ仏法はないとあります、どのようにとらえたら良いでしょうか?

      まず、貴方も正確に解釈している通り、 ①は「功徳がある」とし、②は「仏法が無い」としているのですから、別に問題はありません。
      しかし、貴方がそれでも問題としたことは、②の「仏法」を「功徳」とも解釈されると言う事でしょうか?
      実は、すでに推測で回答を書いてあるのですが、推測が間違っていると、すべてが間違った回答になりますので、確認させてください。
      [ 2014/02/22 22:29 ] [ 編集 ]

      ありがとうございます、わたしが問題としたのが、

      ①は法華経の意味がわからなくても良い
      ②は行学が大事

      というところに引っ掛かりました。。

      ①だと、勉強しなくてもよい
      ②は勉強しないといけない

      という点に矛盾を感じたのです(*_*)

      [ 2014/02/22 22:56 ] [ 編集 ]

      無解とは

      確認への早速のご返答有り難うございます。


      > ①は法華経の意味がわからなくても良い
      > ②は行学が大事
      >
      > というところに引っ掛かりました。。
      >
      > ①だと、勉強しなくてもよい
      > ②は勉強しないといけない
      >
      > という点に矛盾を感じたのです(*_*)


      なるほど。
      確認して良かったです。^^
      無駄な事も多く書いてしまいましたので^^その点にだけ回答いたします。

      >①問うて云く法華経の意をもしらず只南無妙法蓮華経と計り五字七字に限りて一日に一遍一月乃至一年十年一期生の間に只一遍なんど唱えても軽重の悪に引かれずして四悪趣におもむかずついに不退の位にいたるべしや、答えて云くしかるべきなり
      >②行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし

      ①においては、仏法に対する理解が出来無くても、信心によって題目を唱えれば不幸にならないと説かれており、
      ②においては、仏法に対する"理解"を進めていると言うよりも、"理解しようとする努力実践"を進めているのです。

      もっと判りやすくハッキリ言えば、
      仏法を理解出来る能力が無くとも成仏は可能ですが、
      仏法を理解しようとする努力実践がなければ、成仏は不可能なのです。
      なぜなら、
      仏法を理解しようと努力しないのは、信心の無い証拠だからです。
      それが、

      ■行学は信心よりをこるべく候■

      です。

      なお、①の法華経題目抄には、

      ■迦葉・舎利弗等は無解有信の者也■

      とも書かれていますね。
      驚く事に、迦葉・舎利弗でさえも「無解」なのです。
      私達は、御書を学ぶ時にも、折伏の時にも、増上慢にならず、謙虚な姿勢で臨まなければなりませんね。
      大石寺や創価学会の信者の折伏の時の相手を軽蔑する傲慢な態度はそれ事体が、邪宗狂信者の証拠と言えるでしょう。
      [ 2014/02/23 00:54 ] [ 編集 ]

      なるほど、理解できました。ありがとうございます(^^)

      結果的に理解できなくとも、大事なのは「理解しようという努力」なんですね。

      そして努力をしないということは=信心がない。


      あと私達にとっての行学の学は、法華経と御書と両方で良いでしょうか?

      そして、もうひとつ気になっていたのですが、学会の書籍、(御書をひもとく要文123選p27)にある→「信」を深めるために不可欠なのが、「行」「学」の実践である。と書いてあります。

      私は少し意味が違うのでは?と思ったのですが、どう思われますか?



      [ 2014/02/23 02:09 ] [ 編集 ]

      学会の指導について

      .
      再度のご質問有り難うございます。
      質問に、適切なタイトルを付ければ、後で読まれる方が便利ですので、お願いします。

      > そして努力をしないということは=信心がない。

      少なくとも、信心が弱いと言えるでしょう。


      > あと私達にとっての行学の学は、法華経と御書と両方で良いでしょうか?

      法華経を相伝によって説かれた大聖人の御書が根本であり、法華経は、大聖人の教えの真意や御書として残っていない教えを判断するために用いられれば良いでしょう。
      大石寺や学会等の書籍には、悪知識が含まれている事を念頭に置き、邪義を確認するため等に用いるにようにしましょう。大石寺や学会の悪知識を十分に客観視出来るようになるまで、読まない事をお勧めします。


      > そして、もうひとつ気になっていたのですが、学会の書籍、(御書をひもとく要文123選p27)にある→「信」を深めるために不可欠なのが、「行」「学」の実践である。と書いてあります。
      >
      > 私は少し意味が違うのでは?と思ったのですが、どう思われますか?

      どのように意味が違うと思ったのでしょうか?
      この書籍の大意がわかるURLなどありますか?
      なんにせよ。悪知識の根本教義から展開されている学会等の書籍からは、まずは離れる事です。

      御書に曰く
      ■悪象等は唯一身を壊り悪知識は無量の善身無量の善心を壊る是の悪象等は唯能く不浄の臭き身を破壊す悪知識は能く浄身及以び浄心を壊る是の悪象等は能く肉身を壊り悪知識は法身を壊る悪象の為に殺されては三趣に至らず悪友の為に殺されては必ず三趣に至る是の悪象等は但身の怨と為り悪知識は善法の怨と為らん是の故に菩薩常に当に諸の悪知識を遠離すべし■
      [ 2014/02/23 14:48 ] [ 編集 ]

      学会書籍

      法華経を相伝によって説かれた大聖人の御書が根本であり、法華経は、大聖人の教えの真意や御書として残っていない教えを判断するために用いられれば良いでしょう。 

      大聖人の時代には御書がなかったので法華経になるのかな?と思ったのです。


      もうひとつ気になっていたのですが、学会の書籍、(御書をひもとく要文123選p27)にある→「信」を深めるために不可欠なのが、「行」「学」の実践である。と書いてあります。 > > 私は少し意味が違うのでは?と思ったのですが、どう思われますか? どのように意味が違うと思ったのでしょうか? 

      御書には行学は信によっておこるとあるのに、行学で信を深めるとある点に疑問を感じました。。




      この書籍の大意がわかるURLなどありますか? 

      すいません、URLわからないです、、
      行学の二道についての解説としての内容でした。
      [ 2014/02/23 21:00 ] [ 編集 ]

      Re: 学会書籍

      > 大聖人の時代には御書がなかったので法華経になるのかな?と思ったのです。

      仰る通り、御書はまとめられていない事もあり、法華経を根本とするしかありませんでした。

      大聖人曰く
      ■此の経は相伝に有らざれば知り難し■

      此の経とは、法華経の事です。
      法華経は、釈尊から相伝を受けられた大聖人でなければ、正しく解釈することは難しいのです。
      それは、実際に法華経を読んでみても明からです。
      御書を拝する事は、法華経を相伝によって拝読する事になるのです。
      御本仏が幾多もの大難を乗り越えながら書かれた多くの金言をこんなに簡単に正しく拝せる時代になりました。
      ほんとに有り難い事です!


      > 御書には行学は信によっておこるとあるのに、行学で信を深めるとある点に疑問を感じました。。

      それは、戸田会長の教えから来ていると想いますが、道理として間違ってないと思いますよ。
      「深める」ではなく「強める」と言った方が良いかも知れませんが。。
      行である折伏は、自身を折伏する事にもなりますし、御書を学ぶ事によって感動したり、納得したりする事は、信仰心を強める事になるでしょう。

      正しい信心を確立して、早く真実の幸福を開くためには、枝葉よりも先に、根本から迫った方が良いでしょう。
      創価学会が根本教義から間違っている事をしっかりと確認する事です。
      根元が腐っていれば、枝も葉も枯れて行くのは時間の問題であるように、
      根本が間違いだと判れば、その他の教義の正邪の判断に時間をかける必要はないでしょう。
      創価学会の根本中の根本教義とは、「一大秘法」です。

      創価学会の「仏教哲学大辞典(第三版)」78ページには、
      ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
      【一大秘法】
      唯一無二の秘密の法体の義で、三大秘法の根本であり、随一である本門の本尊のこと。
      ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
      と書いてありますが、御書には、

      ■法体と云うも全く余には非ずただ南無妙法蓮華経の事なり■
      ■法体の妙法蓮華経の五字■
      ■日蓮等の類いの弘通する題目は、等雨法雨の法体なり■

      と、明確に書かれており、創価学会の教義が、根本から狂っている事は間違いの無い事実です!
      一刻も早く創価の極大悪知識から遠く離れ、真実の幸福を開いて行きましょう!

      貴方の御本仏曰く
      ■都て一期の間法華経を謗せず昼夜十二時に行ずれども謗家に生れぬれば必ず無間地獄に堕つ■
      ■相構え相構えてとわりを我が家へよせたくもなき様に謗法の者をせかせ給うべし、悪知識を捨てて善友に親近せよとは是なり■
      [ 2014/02/25 13:51 ] [ 編集 ]

      学会の書籍

      大聖人曰く ■此の経は相伝に有らざれば知り難し■ 
      此の経とは、法華経の事です。 法華経は、釈尊から相伝を受けられた大聖人でなければ、正しく解釈することは難しいのです。 それは、実際に法華経を読んでみても明からです。 御書を拝する事は、法華経を相伝によって拝読する事になるのです。 御本仏が幾多もの大難を乗り越えながら書かれた多くの金言をこんなに簡単に正しく拝せる時代になりました。 ほんとに有り難い事です! 

      相伝により、なんですね、スッキリしました。確かに法華経を読んでみても、「~したら、地獄に落ちる」という事がたくさん書いていてよく意味が解らなかった記憶があります(..)

      > 御書には行学は信によっておこるとあるのに、行学で信を深めるとある点に疑問を感じました。。 それは、戸田会長の教えから来ていると想いますが、道理として間違ってないと思いますよ。 「深める」ではなく「強める」と言った方が良いかも知れませんが。。 行である折伏は、自身を折伏する事にもなりますし、御書を学ぶ事によって感動したり、納得したりする事は、信仰心を強める事になるでしょう。 正しい信心を確立して、早く真実の幸福を開くためには、枝葉よりも先に、根本から迫った方が良いでしょう。 創価学会が根本教義から間違っている事をしっかりと確認する事です。 根元が腐っていれば、枝も葉も枯れて行くのは時間の問題であるように、 根本が間違いだと判れば、その他の教義の正邪の判断に時間をかける必要はないでしょう。

      そうですね、時間がもったいないですね、深めるより「強める」で納得できました(>.<)

       
      最近、御書より人間革命を読むように言われ、うんざりしています、、

      こちらのblogを見ていると、知らなかった御書を知れたりして、とても勉強になります!
      ありがとうございます☆
      [ 2014/02/26 21:11 ] [ 編集 ]

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