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    大石寺指導者-樋田氏の「一大秘法とは戒壇の大御本尊」の矛盾の数々。(編集中)

    矛盾だらけの教義を邪義と言う。
    矛盾だらけの教義を根本とするのが邪宗である!
    御本仏日蓮大聖人の金言によって、大石寺指導者-樋田氏の「一大秘法とは本門戒壇の大御本尊」との教義が、いかに矛盾に満ちているか、その一端をご紹介しよう。

    まず、一大秘法とは何か。

    ■一大秘法を留め置きたもう(中略)四大菩薩に付属し給ふ。其の所属之法は何物ぞ。法華経之中にも広を捨て略を取り、略を捨てて要を取る。所謂、妙法蓮華経之五字、名体宗用教の五重玄也■御真筆あり

    一大秘法とは「妙法蓮華経之五字」である事が判る。
    「妙法蓮華経之五字」とは、法華経の題目の事だとすぐに分るが、念のため、その整合性を検証してみよう。

    御本仏日蓮大聖人曰く
    ■事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊■
    ■本門の本尊と戒壇と題目の五字■
    ■本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字■
    ■寿量品の本尊と戒壇と題目の五字■

    「妙法蓮華経之五字」とは、間違い無く「本門の本尊」の事ではなく「法華経の題目」の事であり、日蓮大聖人の仏法においては、天台宗の題目と区別し『本門の題目』と呼んでいる自行化他に亘る南無妙法蓮華経である。
    この間違い無き解釈に異を唱えるのが大石寺指導者-樋田氏である。
    その論拠は、
    「日蓮大聖人は、釈尊から三大秘法を譲られたのだから、三大秘法総在の戒壇本尊こそが一大秘法だ」(主意)
    と言うものである。
    この論拠には、子供騙しのトリックがある。
    「三大秘法総在の戒壇本尊」が、それである。
    「三大秘法総在の戒壇本尊」なる定義など、御書のどこにもない。
    つまり、大石寺法主が自分で勝手に造った定義を前提として、結論が出されているのである。
    「三大秘法総在の戒壇本尊」なる定義など、御書のどこを探しても無い。
    そもそも戒壇本尊に当たる本尊の事など御書のどこにも書かれて無いのだから、その存在しない本尊に三大秘法が総在している事等書かれてあろうはずもない。
    では、「本門の本尊」については、三大秘法が総在している事が、書かれているだろうか。
    それさえも書かれていない。
    「本門の本尊」と言う名称でさえも御書には、たった六回しか登場しない。
    もちろん、曼荼羅など他の表現で書かれてはいるが、それにしても妙法蓮華経(南無妙法蓮華経を含む)の題目415回以上とは比較にならない少なさである。
    話を戻して、「三大秘法総在の戒壇本尊」なる定義など、御書のどこを探しても無い。
    ゆえに、
    「日蓮大聖人は、釈尊から三大秘法を譲られたのだから、三大秘法総在の戒壇本尊こそが一大秘法だ」(主意)
    等と言う大石寺指導者-樋田氏の言い分は、始めから崩れている。
    ゆえに、一大秘法である「妙法蓮華経之五字」とは、とりも直さず「法華経の題目」の事であり、大聖人の仏法において「本門の題目」と呼ばれている自行化他に亘る南無妙法蓮華経の事である。
    それでは、南無妙法蓮華経の題目と三大秘法の関係はどうなのか。
    上行菩薩は、釈尊から両方を譲られたのか。
    違う。やはり、題目を譲られたのである。
    それは、この御文によって明らかだ。

    ■上行菩薩に授与し給う題目の外に法華経の極理は無きなり■聖寿59歳

    「他に無い」と仰せである。
    ゆえに、南無妙法蓮華経の題目は、三大秘法を具えていると判断されるのである。
    この判断が正しい事を証明する御文はあるか。
    ある。こんなにある。

    ■妙法蓮華経の如意宝珠■ 聖寿34歳
    ■如意宝珠は一あれども万宝を雨して欠処之れ無し■ 聖寿44歳
    ■妙法蓮華経の五字に一切の法を納むる■ 聖寿45歳
    ■題目の五字に一法として具足せずと云う事なし■聖寿57歳
    ■有門は題目の文字なり空門は此の五字に万法を具足して一方にとどこうらざる義なり■聖寿57歳
    ■法具とは題目の五字に万法を具足すと云う事なり■ 聖寿59歳
    ■一心は万法の総体なり総体は題目の五字なり■ 聖寿59歳
    ■題目の五字に万法を具足す■聖寿59歳
    ■題目の一心に一切心を含容するを多と云うなり■聖寿59歳


    以上で、一大秘法が「本門の題目」と呼ばれる『自行化他に亘る南無妙法蓮華経の題目』である事が完全に判明した。

    それに対し、大石寺指導者-樋田氏の文証ゼロのイイワケ
    「日蓮大聖人は、釈尊から三大秘法を譲られたのだから、三大秘法総在の戒壇本尊こそが一大秘法だ」(主意)
    が、如何に矛盾に満ちているかを証明して行こう。

    <文証>
    ■上行菩薩に授与し給う題目の外に法華経の極理は無きなり■聖寿59御講聞書

    すでにあげた御文である。
    大石寺指導者-樋田氏は、この御文における「題目」をなんと「戒壇本尊」と読むのである。
    カンタンに言えば、「題目」と書いて「本尊」の事だと言い張っているのである!
    これを『戯論』と言う。勿論矛盾だらけで論にもならないイイワケである。
    「題目」を「本尊」と読むのだから、常人には説明するまでもない狂い様だが、
    あまりにも可哀想な大石寺狂信者達のために、多くの矛盾点をあえて指摘しよう。

    【矛盾1】なぜ、極理が「戒壇本尊」ならば「戒壇本尊」と書かないのだ?

    【矛盾2】なぜ、「本門の本尊」としか呼び名が無かったにしても「本門の本尊」とさえも書かないのだ?

    【矛盾3】なぜ、「戒壇本尊」の事をほのめかす表現に「本門の本尊」と区別される「題目」を逆に用いる必要があるのだ?
    記憶喪失の狂信者達よ。思い出せ!

    ■事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊■
    ■本門の本尊と戒壇と題目の五字■
    ■本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字■
    ■寿量品の本尊と戒壇と題目の五字■

    三大秘法における『題目とは、本尊ではなく題目の事だ!』
    「題目とは、題目の事だ」と教えなければならないのが、君達狂信者の頭破七分の境涯である。


    【矛盾4】もしも、題目が本尊の事なら、

    ■事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊■
    ■本門の本尊と戒壇と題目の五字■
    ■本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字■
    ■寿量品の本尊と戒壇と題目の五字■

    の御文の中における「題目」も「戒壇本尊」の事となろう。
    『三大秘法とは、「本門の本尊」と「戒壇本尊」と「本門の戒壇」の事なのか?』
    こう問わねばならないほどに大石寺指導者-樋田氏は狂いまくっているのだ!

    【矛盾5】「題目」が戒壇本尊を意味するなら、三大秘法のひとつ「本門の題目」は、どこに行ったのだ?

    大石寺狂信者達よ!まだまだ頭破七分の境涯では気づけないのか?
    さらに御書全体から矛盾点を指摘しよう。

    【矛盾6】
    御本仏曰く
    ■釈迦多宝の二仏宝塔の中にして上行菩薩に譲り給いて此の妙法蓮華経の五字過去遠遠劫より已来寸時も離れざる血脈なり■ 生死一大事血脈抄1,336ページ聖寿51歳

    この御文からも、一大秘法が「妙法蓮華経の五字」である事は明確である。
    もしも、一大秘法が戒壇本尊ならば、
    なぜ、一大秘法の事を「戒壇本尊」はおろか「本門の本尊」とさえも書かず、「妙法蓮華経の五字」と書いたのだ?

    【矛盾7】
    ■日蓮は広略を捨てて肝要を好む所謂上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり■ 法華取要抄

    336ページ聖寿53歳

    この御文からも、一大秘法が「妙法蓮華経の五字」である事は明確である。
    なぜ、「戒壇本尊」はおろか「本門の本尊」とさえも書かず、「妙法蓮華経の五字」と書いたのだ?

    【矛盾8】
    ■釈尊は重ねて無虚妄の舌を色究竟に付けさせ給いて後五百歳に一切の仏法の滅せん時上行菩薩に妙法蓮華経の五字をもたしめて■ 撰時抄265ページ聖寿54歳

    この御文からも、一大秘法が「妙法蓮華経の五字」である事は明確である。
    なぜ、「戒壇本尊」はおろか「本門の本尊」とさえも書かず、「妙法蓮華経の五字」と書いたのだ?

    【矛盾9】
    ■上行菩薩に付属し給う其の付属とは妙法の首題なり■ 御義口伝巻下783ページ聖寿57歳

    この御文からも、一大秘法が「妙法蓮華経の題目」である事は明確である。
    なぜ、「戒壇本尊」はおろか「本門の本尊」とさえも書かず、「妙法の首題」と書いたのだ?
    「妙法の首題」とは、まさに「法華経の題目」の事ではないか!

    【矛盾10】
    妙法蓮華経は釈尊の妙法には非ざるなり既に此の品の時上行菩薩に付属し給う故なり■ 御義口伝巻下770ページ聖寿57歳

    この御文からも、一大秘法が「妙法蓮華経」の五字である事は明確である。
    もしも、一大秘法が戒壇本尊ならば、
    なぜ、一大秘法の事を「戒壇本尊」はおろか「本門の本尊」とさえも書かず、「妙法蓮華経」と書いたのだ?

    【矛盾11】
    ■別付属の妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生に取次ぎ給うべき仏勅使の上行菩薩なり■ 御講聞書840ページ聖寿59歳

    この御文からも、一大秘法が「妙法蓮華経の五字」である事は明確である。
    なぜ、「戒壇本尊」はおろか「本門の本尊」とさえも書かず、「妙法蓮華経の五字」と書いたのだ?

    【矛盾12】
    ■上行菩薩に妙法蓮華経を付属し給う時・妙法の五字に四弘誓願を結びて結句に説かせ給えり ■御講聞書846ページ聖寿59歳

    この御文からも、一大秘法が「妙法蓮華経」の五字である事は明確である。
    なぜ、「戒壇本尊」はおろか「本門の本尊」とさえも書かず、「妙法蓮華経」と書いたのだ?

    それに対し、「上行菩薩に本門の本尊を付属」なる御文は、たったの一文も無い!

    念のため、昔、創価学会狂信者が無理矢理こじつけて文証とした御文を破折しておこう。

    ■此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊薬王等にも之を付属し給わず何に況や其の已外をや但地涌千界を召して八品を説いて之を付属し給う、其の本尊■

    との御文によって、本尊を付属したと読んだ『人物詐称』の捏造創価学会員が居た。
    付属したのは、南無妙法蓮華経の五字である事が多くの御文で明確にも関わらず、やっとこの御文を見つけ出し、しがみついたのである。

    以下、取り消し線部分を樋田氏が反論不可の自サイトにこっそり書いた^^証拠によって訂正し、改めて破折する!

    実は、この御文は、正しくは、
    「付属し給う、其の本尊」ではないのだ。
    真蹟御文(御真筆と認められる御書)
    (略)によれば、
    ■此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては、仏、猶お文殊・薬王等にも之を付属したまはず。何に況んや其の已下をや。但地涌千界を召して八品を説いて之を付属したもう。[p0712]
    其の本尊の為体〈ていたらく〉、本師の娑婆の上に宝塔空に居し■
    となっており、
    ■此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては、仏、猶お文殊・薬王等にも之を付属したまはず。何に況んや其の已下をや。但地涌千界を召して八品を説いて之を付属したもう。■

    ■其の本尊の為体〈ていたらく〉、本師の娑婆の上に宝塔空に居し■
    は、分けて読むのである。


    <改めて破折しよう!>
    「其の本尊」とは、その前後の御文
    「此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊薬王等にも之を付属し給わず何に況や其の已外をや但地涌千界を召して八品を説いて之を付属し給う、其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経」
    からして、
    『"一大秘法である南無妙法蓮華経" が書き顕された本尊』の意味である。
    <文証>
    *法華経の題目を以て本尊とすべし*本尊問答抄365ページ
    *妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり*日女御前御返事1,243ページ

    御書は、御書全体の整合性の上から正しく拝さなければならない。
    題目=本尊ではないのだ。題目が書かれる事によって本尊となるのである。
    一大秘法である本門の題目が書き顕される事によって本門の本尊となるのである。
    それが、三大秘法を具える一大秘法の『本門の題目』である。


    たとえ「本門の本尊を付属された」等とする御文が出て来たとしても、
    付属された『一大秘法』は、
    ■上行菩薩に授与し給う題目の外に法華経の極理は無きなり
    で、本尊ではなく『三大秘法の題目』である!

    『三大秘法の題目に具わった本尊も付属された』と言うだけの意味である。
    一大秘法が『本門の題目』である事を証明する数多くの明確な御文を否定する事は出来ない!

    御本仏曰く
    妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり■

    南無妙法蓮華経の題目がなければ、本尊にはなれないのである!

    ■妙法蓮華経の五字は万法能生の父母なり■

    妙法五字から「本門の本尊」も生み出されるのである!



    以上、一大秘法とは、三大秘法を具える「本門の題目」の事である事が完全に証明された。
    「一大秘法とは戒壇本尊」などと言う人師の我見を狂信した樋田氏の戯論は、完全に崩壊し尽くした。
    究極の根本教義が狂っている大石寺教義の矛盾点は御書を拝せばいくらでも出てくる。
    しかし、大石寺狂信者達には、それが全く見えないのだ。
    それは、大石寺の極大謗法の悪知識が深く命に入って本心を失い眼が閉ざされているからである。

    ■釈迦仏等の仏の法華経の文字を敬ひ給ふことは民の王を恐れ星の月を敬ふが如し、然るに我等衆生は第六天の魔王の相伝の者・地獄・餓鬼・畜生等に押し篭められて気もつかず

    ■経に云く「余の心を失える者は其の父の来れるを見て亦歓喜し問訊して病を治せんことを求むと雖も然も其の薬を与うるに而も肯えて服せず、所以は何ん毒気深く入つて本心を失えるが故に此の好き色香ある薬に於て美からずと謂えり■

    毒気深入とは権教謗法の執情深く入りたる者なり、之に依つて法華の大良薬を信受せざるなり服せしむると雖も吐き出だすは而謂不美とてむまからずと云う者なり■

    ■何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし、うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し、毒気深入・失本心故は是なり

    ■是を此大良薬色香美味皆悉具足と説かれたり、皆悉の二字万行万善・諸波羅蜜を具足したる大良薬たる南無妙法蓮華経なり■

    ■妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり豈今者已満足に非ずや、已とは建長五年四月廿八日に初めて唱え出す処の題目を指して已と意得可きなり、妙法の大良薬を以て一切衆生の無明の大病を治せん事疑い無きなり■聖寿57歳 御義口伝下



    2015年5月4日 間違いの可能性がある部分を取り消し線にて訂正し、改めて破折した。
             文証となる御文に重複したものがあったので削除し訂正した。
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    [ 2014/09/04 23:52 ] 宗教 | TB(0) | CM(0)

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