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    あまりにも的外れで矛盾に満ちた大石寺狂信者達による御本尊誹謗

    日蓮大聖人の根本中の根本教義である「一大秘法」から狂っている大石寺は、その他の教義も狂いに狂いまくっているものだらけである。

    大石寺狂信者達は、私の破折に対して、毎回、全く反論不能となり、出来る事は、問題の拡散と、大石寺への執着の姿と、私の御本尊に対する誹謗だけである。
    私の拝している御本尊が、ネットで購入した日蓮大聖人御真筆本尊の模造であるからと、私の御本尊を「ニセ本尊」と誹謗し、私を「謗法」だと中傷するしかないのである。
    もしも、大石寺信者の拝している御本尊がすべて御真筆本尊であるなら、その誹謗にも少しは正当性があるだろう。しかし、大石寺信者の拝してる御本尊のほとんどは、御真筆本尊の模造どころか、他人が模写した本尊のコピーでしか無いのである。
    私が拝しているのは、日蓮大聖人御真筆本尊の模造。
    彼らが拝しているのは、他人が模写した本尊のコピー。
    それで、よく、他人様の御本尊を誹謗できるものである!

    彼らは、「日蓮大聖人御真筆本尊の模造」だと誹謗しながら、では、日蓮大聖人御真筆本尊そのものであれば、認めるかと言えば、そうじゃないのだから驚きである。
    日蓮大聖人御真筆本尊でさえも大石寺の法主が認めたものでなければ、「大聖人の魂は住まない」「絶対に功徳は無い」ハッキリ言えば、「魔が住んでいる」と誹謗するのである。
    他人が模写した本尊のコピーを有り難く拝みながら、日蓮大聖人御真筆本尊をも誹謗するのだ!
    これ以上に狂った思考、狂った信仰の世界があるだろうか!
    世界のどこに自分の御本仏が直接顕された御本尊を誹謗する宗教があるだろうか!
    どのようなカルト宗教も真っ青な狂いまくったカルト狂信宗教である!

    彼らは、「ネットから購入した本尊」だの「ニセ本尊」だのと他者の本尊を誹謗しているが、結局は、『大石寺の本尊でなければ、どのような本尊であろうと認めない』と言う究極の独善者達でしかないのである。
    大石寺の認める本尊を入手するには、どうすれば良いのか。
    大石寺の信者になるしかないのである。
    こんな独善的な思考に根ざした誹謗があるだろうか!
    もはや、日本国憲法に保障された「信教の自由」を脅かす行為であり、大石寺に宗教法人としての資格があるとは言えないだろう。

    マトモな思考を持った方には言うまでもない事だが、
    私は、極大謗法の大石寺だから入信しないのであり、その必然の結果で大石寺が認めた御本尊を拝していないのである。
    大石寺が、三証揃った謗法無き宗派であるならば、喜んで大石寺信者となり、大石寺が認めた本尊を拝む。
    そうすれば、謗法への供養となる懸念も、御本尊への軽善謗法の懸念もないだろう。
    しかし、大石寺こそは、根本中の根本教義から文証が無いどころか、大聖人の金言に違背する邪宗である。
    そして、大石寺以外の法華宗系にも謗法無き宗派教団は見当たらないし、大石寺以外の法華宗系の宗派教団の本尊を正しいと認めないのが究極の独善教団大石寺であろう。
    大石寺は極大謗法教団。他宗派も謗法教団。
    ネット等から入手する以外に御本尊を入手する方法がないではないか。
    ネット等から模造本尊を購入し拝するのが、謗法と言うのなら、謗法にならない入手方法を大石寺こそが示すべきである。要するに、この世に、大石寺を始めとする謗法教団しか無いから本尊を購入と言う手段を取らねばならないのだ。己の教団が、全く正当性を証明出来ない体たらくなのを恥じる事も無く、その必然として御本尊を購入するしか無い者に対して、誹謗を加える等、見当違いも甚だしい!
    正しい教団からの入手でなければ謗法と言うのなら、大石寺が正しい教団である三証を示せと言っているのだ!
    こう書けば、今度は、「なぜ、自分で書かないのか?」等と言い出すのが大石寺狂信者達である。
    立派な御真筆本尊の模造が入手出来るのに、あえて、自分で書写する理由がどこにあるのだ。
    御本仏日蓮大聖人の御真筆本尊の模造と、自分で書いた本尊と、どちらに信仰心がおこるかぐらいも判らないのが大石寺狂信者達である。
    もう、己が信じてしまった教団への狂信と独善的思考の塊となり誹謗のための誹謗をしているだけなのだ。

                  
                 ◇◇◇


    信仰者にとって、本尊は、"信仰の対象"であって、骨董品のように真偽の対象では無い!
    そもそも、本尊は、本物の仏(釈尊等)や、その教えに登場する仏を、木や紙その他で模造して、本物の仏の "代わり" に信仰の対象としたものであり、
    その意味では、すべて偽物と言える。
    国宝となっている多くの仏像が本物と言っても、それは、"骨董品"としてであり、本物の仏ではない。
    言うまでもなく悟りを得るための修行も悟りもない物質である。
    仏として最も大切な説法も出来ない。
    それを本物と呼ぶのは、権威ある芸術家などの誰々が作ったものであると言う"骨董品としての真偽"だけである。
    信仰の世界においては、そこに真偽は無い。
    阿弥陀では釈尊の教えに違背するとか、釈尊像でも三十二相のどれが抜けているとか、どの表現が間違っている等の本尊の "正邪" があるだけである。

    御本仏日蓮大聖人曰く

    *御悟りをば法華経と説きをかせ給へば・此の経の文字は釈迦如来の御魂なり*

    釈尊が説いた法華経の文字は、"そのまま" 釈迦如来の魂なのである。
    では、大聖人が所持されていた法華経は、だれが書いたものなのか?
    釈尊直筆の法華経など無く、釈尊の相伝者が書いた法華経だから「釈迦如来の魂」だとも言われていない。
    鳩摩羅什の法華経を採用していたとしても、それは、翻訳の正邪の問題であって、鳩摩羅什直筆だからなどと言う理由ではない。
    "法華経だから"「釈迦如来の魂」なのである。
    そこに「本物の法華経」だとか、「偽物の法華経」だとかの差別などないのである!
    大聖人は、どこそこの大日如来は、偽物だ等と誹謗してはいない。
    大日如来を本尊と起てれば、釈尊を下すことになると批判されているのであって、真偽の問題ではない。
    大聖人が問題とされたのは、正邪である。
    もし、創価学会の御本尊が、南無妙法蓮華経の下に「大作」などとでも書いてあれば、それは邪義であり、謗法となる。
    しかし、大聖人の御本尊に違背しない相貌であるならば、謗法とはならない。
    謗法とすれば、創価学会が御本尊を悪用して信者を縛り付け金儲けに利用している点等である。

    <追記>
    また、もし、仮に創価学会が、自教団の本尊を「日蓮正宗の御本尊」と称しているなら、日蓮正宗が認めない御本尊であるから、「ニセ物」と言えよう。
    しかし、創価学会では、勿論、「創価学会の御本尊」としていることだろうから、この批判も当たらない。
    ただし、創価学会が、「魂の独立」などと言いながら、
    http://www.seikyoonline.jp/news/editorial/2010/11/1193409_2944.html
    結局、日蓮正宗法主日寛書写の御本尊の相貌を採用したことは、極めて大矛盾であり、中途半端もいい所だと批判されるべきである。
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    [ 2014/10/30 16:17 ] 宗教 | TB(0) | CM(0)

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