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    創価学会は、戒壇の大御本尊を否定してはいない


    戒壇の大御本尊否定の 会則改変は なぜこの時期だったのか?01


    法華経を誹謗すると頭破七分者となる。
    頭破七分の症状は、カンタンな言葉の意味が分らなくなることである。
    法華経の眼目である南無妙法蓮華経の御本尊を誹謗する樋田センセも青木センセもカンタンな日本語がわからない。
    創価学会は、戒壇の大御本尊を否定してはいない。(と、イイワケ出来る)
    ちゃんと逃げ道を造っている。
    創価学会曰く
    「"大謗法の地にある" 弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。」
    創価学会は、「謗法の地にある」との条件を付けている。
    大石寺が大謗法教団となったのだから、大石寺にある戒壇の大御本尊は、受持の対象にはしないと言う訳だ。
    逆に言えば、大石寺が大謗法教団でなくなれば、或は、仮に戒壇の大御本尊が、謗法教団の元から創価の元に安置されれば(ありえないが)受持の対象として認めると言う事になる。
    それは、「謗法の地にある御本尊には大聖人の魂は住まない」(主意)
    との「創価永遠の指導者」戸田の教え(詐欺説法)との整合性もあるかのように言えるのだ。
    (※もちろん、この戸田の教えは、驚くべき南無妙法蓮華経の御本尊の否定だが、創価狂信者やすでに頭破七分となった創価学会員ならば納得させられる魔の教えなのだ。)
    また、創価が「信仰の対象」ではなく「受持の対象」と書いたのも「逃げ道」の一つだ。
    「受持はしないが(出来ないが)信仰しないのではない」などとイイワケが出来る。

    創価学会は、別の観点、別の部分で正しく批判破折できる。
    しかし、日蓮正宗本体も彼らも、このような前提から間違った的外れな批判、中途半端な破折しか出来ないのである。
    頭破七分者は、何人集まっても、この程度なのだ。
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    [ 2015/01/23 19:29 ] 宗教 | TB(0) | CM(0)

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