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    『阿部英樹』なる我慢偏執の狂信者を極カンタンに破折する。



    学会員を洗脳から目覚めさせる訪問 プロジェクトNo 2

    に対して、このようにコメントした。

    ◇◇◇


    御本仏の金言も知らず、大悪魔にまんまと騙され「このニセ本尊を捨てました!」だそうです。

    御本仏曰く
    *木画の仏像・堂塔等をやきかの仏像等の寄進の所をうばいとり率兜婆等をきりやき智 人を殺しなんどするもの多し、此等は大阿鼻地獄の十六の別処に堕つべし*

    御本仏曰く
    *銅の釈尊をやきし守屋は四天王の矢にあたり東大寺興福寺を焼きし清盛入道は現身に其身もうる病をうけにき彼等は皆大事なれども日蓮が事に合すれば小事なり小事すら猶しるしあり大事いかでか現罰なからむ。*聖寿54

    御本仏曰く
    *東大寺・興福寺の両寺を焼きはらいてありしかば・其の大重罪・入道の身にかかりて・かへるとし養和元年潤二月四日身はすみのごとく面は火のごとくすみのをこれるがやうにて結句は炎身より出でてあつちじにに死ににき*聖寿56歳

    興福寺
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%88%E7%A6%8F%E5%AF%BA

    御本仏は、木画の仏像を不敬しても無間地獄に堕ちると仰せである!
    法華経の眼目たる御本尊を不敬したらどうなると思っているのだ!

    http://kangaeruhito777.blog100.fc2.com/blog-entry-1200.html



    ◇◇◇



    それに対し、このように反論して来た大石寺狂信者が居る。

    >興福寺=像法時代!(笑)バーカ(笑)

    >大聖人様が過去の像法時代の事柄をしたためられた御書と大聖人が晩年の末法時代にしたためられた御書の違いわかってる?御書のパッチワークさん(笑)

    >意味不明?(笑)この時代に寺を焼き払う?お前イスラム国か?(笑)

    >お前がな!(笑)先ずはネットのゴミ本尊焼き払ったら?この時代に(笑)

    大石寺ではない「ニチレンショウシュウ」の信者だと言い張る『阿部英樹』なる狂信者である!

    私は、以前に、この『阿部英樹』なる狂信者の名誉を傷つけないために、それが本名なら愚かな反論や悪口をして来ないように、本名ではなくハンドルネームで書き込むように親切に勧めた。
    それにも関わらず、私のみならず私の亡くなった父まで誹謗して来たのがこの『阿部英樹』なる狂信者である。
    この人の思いやりを仇で返す大石寺の狂信者が、いかに愚かであるかを極カンタンに証明しよう。

    『阿部英樹』なる狂信者は、日蓮大聖人の金言

    *東大寺・興福寺の両寺を焼きはらいてありしかば・其の大重罪・入道の身にかかりて・かへるとし養和元年潤二月四日身はすみのごとく面は火のごとくすみのをこれるがやうにて結句は炎身より出でてあつちじにに死ににき*聖寿56歳

    を読んで、「興福寺=像法時代」だから、大聖人が罰とされたのは、像法時代の話だと考えたのである。
    これが、どれほど愚かな思考かに全く気づいてないのである。

    1. まず、「興福寺=像法時代」ではない。
    創建669年から現在まで続く寺である。
    『阿部英樹』なる者は、興福寺が像法時代に終了したと思っているらしいのだ。

    2. 次に、「興福寺が像法時代で終了した寺」だと仮定して、像法時代には「法相宗」も「正法」だと、この『阿部英樹』なる者は、考えているらしいのだ!
    或は、像法時代なら邪宗の寺を焼いても仏法上の罰があると考えているのが、この『阿部英樹』なる狂信者なのだ。

    3. さて、いつまで経っても、己の愚かさに少しも気づかず、私を「バーカ」等と誹謗し続ける『阿部英樹』なる狂信者に、教えてあげよう。

    興福寺が "焼かれた" のは、いつなのか?
    『1180年』である。
    では、末法は、いつからなのか?
    『1052年』である。
    興福寺が焼かれたのは、すでに末法に入って百数十年後なのである!

    日蓮大聖人は、"末法の時代における現証" を 発迹顕本後に、こう明確に御教示されているのである。
    この『阿部英樹』なる狂信者は、私が、親切に
    興福寺
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%88%E7%A6%8F%E5%AF%BA
    と、興福寺が『いつ焼かれたのか』が判るようにURLを提示したのにも気づけないのである。
    少し前から、御文を提示しよう。^^

    治承四年十二月二十二日に七寺の内の東大寺・興福寺の両寺を焼きはらいてありしかば・其の大重罪・入道の身にかかりて・かへるとし養和元年潤二月四日身はすみのごとく面は火のごとくすみのをこれるがやうにて結句は炎身より出でてあつちじにに死ににき*聖寿56歳

    ※御真筆ありである。
    この御文だけではない。
    提示したすべての御文には、御本仏の御真筆が残されているのだ!!!
    大聖人は、末法時代に起こった「東大寺・興福寺の両寺を焼きはらいて」を「其の大重罪」と仰せである!
    言うまでもなく『大聖人による開眼の無い本尊を奉っている邪宗の寺』を末法時代に焼いたのが『大重罪』であり、確かな罰の現証があったと仰せである!
    『大聖人による開眼の無い本尊を奉っている邪宗の寺』を末法時代に焼いて大重罪があり罰があると言うのに、
    どうして、法華経の眼目たる南無妙法蓮華経の御本尊を末法時代に含まれる現代に誹謗して極大罪がないのかを、この『阿部英樹』なる狂信者をはじめ大石寺狂信者は、今回も全く根拠ある説明など出来ないに決まっているのだ!


    大石寺狂信者達は、創価学会の本尊は「ニセ本尊」で害毒があり、精神障害や脳機能障害や人格破綻の原因だと誹謗しているが、創価学会の本尊であろうと南無妙法蓮華経の本尊を「ニセ本尊」「魔の本尊」などと誹謗する大石寺狂信者こそが、御本尊誹謗の極大謗法行為によって、以上のような愚か過ぎる思考しか出来ない頭破七分者となるのである!!!

    御本仏曰く

    *法華経は一切の諸仏の眼目教主釈尊の本師なり、一字一点もすつる人あれば千万の父母を殺せる罪にもすぎ十方の仏の身より血を出す罪にもこへて候ける*

    *法華経の眼目たる妙法蓮華経の五字

    *この文字は釈迦如来の気にも候なり*

    *文理真正の経王なれば文字即実相なり実相即妙法なり*

    *釈迦仏等の仏の法華経の文字を敬ひ給ふことは民の王を恐れ星の月を敬ふが如し、然るに我等衆生は第六天の魔王の相伝の者・地獄・餓鬼・畜生等に押し篭められて気もつかず*


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    [ 2015/03/02 01:29 ] 宗教 | TB(0) | CM(2)

    はじめまして。創価学会に疑問を抱いているものです(脱会した後の宗派についてはまだ決めていません)
    あなたの論に気になる点がありましたので質問させていただいても宜しいですか?

    1、「創価学会の本尊をニセ本尊と言うのは本尊誹謗という堕地獄必定の恐るべき謗法である」と仰せですが、日蓮正宗によれば彼らは勝手に本尊をコピーし、相貌を改ざんまでしているそうですね。こういったものが果たして本尊と呼べるのですか?

    2、創価学会の本尊は管理人様が謗法団体としている、日寛上人が書いたものであるとされています。また、管理人様は日寛上人の体系化した教学についても邪義とされていたと思います。大謗法団体のしかも邪義をより強く主張した人物の書いた本尊は本尊となるのですか?

    3、1や2のようなケースで「本尊として扱う」となると、誰でも本尊を作ってよいということになりますが、要は管理人様は本尊は相貌だけが重要であり、大事なのは題目を唱える側であると御考えですか?

    以上です。私もこのHpを全て見たわけではありませんので、見落とし等多々あるとは思いますがご回答いただけるとありがたいです。
    [ 2015/06/07 21:55 ] [ 編集 ]

    御本尊に関して

    .
    迷い鳥さん、はじめまして!
    貴重なご質問を有り難うございます。<(_ _)>

    まず、質問の題名を書くべき所に、質問内容を書かれているようですので、次回からは、そのような間違いの無いようにしてください。
    また、質問の内容と記事の内容の関係性がハッキリしませんので、その関係性も明確にしてください。

    それでは、質問にそってお答えします。

    <質問1>
    「創価学会の本尊をニセ本尊と言うのは本尊誹謗という堕地獄必定の恐るべき謗法である」と仰せですが、日蓮正宗によれば彼らは勝手に本尊をコピーし、相貌を改ざんまでしているそうですね。こういったものが果たして本尊と呼べるのですか?

    <答え>
    勿論です。
    本尊と呼べるから、創価学会発行の御本尊誹謗をも「法華極大謗法」と呼んでいるのです。
    逆に、お聴きすれば、どうして、
    「日蓮正宗によれば彼らは勝手に本尊をコピーし、相貌を改ざん(修正)」
    したものは、本尊と呼べないのですか?
    御書のどこに、そんな事が書かれていますか?


    <質問2>
    創価学会の本尊は管理人様が謗法団体としている、日寛上人が書いたものであるとされています。また、管理人様は日寛上人の体系化した教学についても邪義とされていたと思います。大謗法団体のしかも邪義をより強く主張した人物の書いた本尊は本尊となるのですか?

    <答え>
    恐らく簡潔に仰っているのだとは想いますが、  
    正確には、日寛上人が書写した本尊を修正しコピーしたものが、現創価学会発行の本尊のようです。
    で、貴方は、すでに答えの分っている質問を繰り返されていますね。
    「本尊となるのですか?」と聴かれれば、
    「本尊となるのです。」が、答えになります。^^
    「なぜ、本尊となるのですか?」と質問したとしてお答えすれば、
    「誰々が書いたなら本尊となり、誰々が書いたなら本尊とならない」等と言う大聖人や法華経の教えが無いからです。
    逆にお聴きすれば、貴方は、なぜ、謗法者が書いたら本尊にならないとお考えなんですか?
    そして、その根拠となる文証はなんでしょうか?

    なお、私は、すでにブログ等に書いていますが、謗法者の書いた本尊も、相貌が正しければ、理論的には本尊となりますが、その本尊を拝む者が、謗法者が書いたと言う情報によって疑いを生じ、信ずる事が出来なければ、結果的に功徳は出ませんから、その信仰者にとっては本尊にならないのです。
    もっと具体的に言えば、日寛上人が謗法者と知らないで拝む日寛書写修正コピー本尊は、本尊となるが、日寛上人が謗法者と知って拝む日寛書写修正コピー本尊は、疑いが生じるゆえに本尊とならないのです。
    実際は同じ本尊でも信仰者の側によって大きく変わるのです。


    <質問3>
    1や2のようなケースで「本尊として扱う」となると、誰でも本尊を作ってよいということになりますが、要は管理人様は本尊は相貌だけが重要であり、大事なのは題目を唱える側であると御考えですか?

    <答え>
    自由には責任が伴います。
    誰でも本尊を造るのは自由でしょう。
    しかし、造られた本尊は不敬すれば無間地獄です。
    書き損じた本尊でも廃棄する事は憚れるでしょう。

    重要なのは、相貌だけではありません。
    紙の手に入らない時代なら仕方の無い場合もあるでしょうが、
    良質の紙が容易に手に入る時代には、出来るだけ良質の紙で造るのが理想なのは当然でしょう。

    題目には、御本尊を含む三大秘法が具わっているのです。
    御本尊とは、外にあるのではなく、心の内にあるのです。
    その意味で、「大事なのは題目を唱える側」、「内側」です。
    もしも、御本尊の方が成仏にとって不可欠ならば、一部の信徒にしか御本尊を与えなかった大聖人は無慈悲な御本仏となります。
    逆にお聴きすれば、貴方は、大聖人が、一部の信徒にしか御本尊を与えなかった事を、どのように説明するのですか?
    なお、鎌倉時代は、印刷も可能な時代です。


    >以上です。私もこのHpを全て見たわけではありませんので、見落とし等多々あるとは思いますがご回答いただけるとありがたいです。

    そうですね。全てを読んで理解してから質問するのは無理ですから、貴方の問題に関連している記事をお読みになり、その記事にそってご質問ください。
    そうすれば、質問も正確になり、答えも無駄無く正確に出来ると想います。

    後、こちらをお読みいただければ、さらに、ご理解いただけると想います。

    あまりにも的外れで矛盾に満ちた大石寺狂信者達による御本尊誹謗
    http://kangaeruhito777.blog100.fc2.com/blog-entry-1255.html

    また、貴方は、私の考えをお聞きになっていますが、私が書いている事は、我見ではありません。私の書いている事には、根拠となる文証があります。
    御希望であれば、文証を提示いたしますので、どの部分について文証が必要なのかご要望ください。
    [ 2015/06/08 08:54 ] [ 編集 ]

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